一緒にかぶらずしを作るよ
2025-11-09
秋のなかった今年の晩夏の2ヶ月間で、父は逝ってしまった。
それから、母と過ごす時間が少しずつ増えた。
私が帰る時間に合わせて、当たり前のようにごはんの用意をしてくれている。
「どうやって作るんだったかわからなくなった」と言うけれど、
90歳になっても、母は台所に立っている時がいちばん生き生きしている。
私はそのそばで、ダイニングの椅子に座っておしゃべりをする。
そんな他愛もない会話が、なんだか心をほぐしてくれる。
その笑い声を聞くたびに思う。
この暮らしは、支えるでも、支えられるでもない。
そして、母のそばで過ごすたびに思う。

― 90歳の母が作るごはん ―
秋のなかった今年の晩夏の2ヶ月間で、父は逝ってしまった。
暑さが続くなかで、時間だけが止まったような日々だった。
それから、母と過ごす時間が少しずつ増えた。
あの家に帰ると、台所から包丁の音と鼻歌が聞こえる。
私が帰る時間に合わせて、当たり前のようにごはんの用意をしてくれている。
「どうやって作るんだったかわからなくなった」と言うけれど、
母の作る料理は、いつも変わらずおいしい。
きっと、体が覚えているのだと思う。
長い年月の中で、家族を支えてきた手の記憶。
90歳になっても、母は台所に立っている時がいちばん生き生きしている。
ごはんを作り終えたあとも、鼻歌を歌いながら台所をピカピカにしている。
拭き上げられたシンクは、まるで母の誇りのように光っている。
私はそのそばで、ダイニングの椅子に座っておしゃべりをする。
「今日スーパー混んでたよ」
「このお味噌汁、やっぱり母の味だね」
そんな他愛もない会話が、なんだか心をほぐしてくれる。
母は手を動かしながら、
「ほんとにあの人は頑固だったねぇ」と笑う。
その “あの人” は、もちろん父のこと。
その笑い声を聞くたびに思う。
――父は、まだここにいるんだな。
この暮らしは、支えるでも、支えられるでもない。
ただ、お互いを感じながら、生きているだけ。それでいい。
そして、母のそばで過ごすたびに思う。
姉も私も、母を本当に大切に思っている。
その気持ちは、きっと母にも伝わっていると信じている。
父と暮らした私たち家族の家で、ずっと暮らしていこうね。